おかだプライマリケアクリニック

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救急医が語る平和な国の救急医療事情

 私は2008年に救急専門医を取得しました。以後救急医として救急センターでも、市中病院でも、数多くの救急車を受け入れて救急診療を行ってきました。

 医師というものはようやく独り立ちするころ、世の中のしくみや患者背景について知るころになって、その時期の業務が忙しければ忙しいほど、批判的な意見を持ったり、正義感を振りかざしてみたりするようです。

 「こんな軽症で救急車?」「救急車はお金がかからないから」「生活保護でギャンブルや酒盛り?!」などと新しい衝撃の事実を知れば知るほど、自分はもっと”本当に必要としている人”のために働きたいと思うようになったのだと思います。

 初めて途上国への医療援助活動に参加したのは、レバノンにてシリア難民の支援をするという赤十字国際委員会のミッションでした。難民には健康保険もありませんので、病院での治療にはお金がかかります。怪我をした患者さんのために友人たちがお金を出し合う姿に感動したり、UNHCR(国連難民高等弁務官事務所)に助けてもらったり。そのシリア難民が多数流入したおかげでそれまでベイルートで仕事を持っていた移民たちが職をうしない困窮するなんていうことも。

 イラクにも行きました。ISISに総攻撃をうけたイラク第二の都市モスル。ミルクが全く手に入らないがためにやせ細っていく乳児たち。「離乳が終わって固形物が食べられるようになるまで何とか!」という思いで点滴治療をした覚えがあります。

 我々が診療を行っていた病院の近くで毎朝見かける10歳くらいの少年は、6-7頭のヤギを連れて近くのごみ捨て場で、ヤギたちに落ちているものを食べさせて育てているようでした。モスル市内はがれきの山、通ることのできる道路も限られており、毎日大渋滞です。それでも停戦が締結されると長い時間と道のりをかけて自分の家に帰ってきてはあるものだけでお店を路上で開いたり、子供たちはUNICEFに支給された鮮やかな水色のリュックを背負って学校へと向かいます。

 そんな紛争地での多くの経験のあと、私は日本に戻り、再び救急患者の受け入れに携わることになったのですが・・・日本の患者さんのまあ平和そうな顔、危険とはほぼ無縁とも思える背景。

 昔の私なら「こんな症状で救急車?」と言っていたでしょうが、紛争地から帰国してからは「こんな症状でも救急車で運んでもらえたの?よかったですね、平和な国で暮らせて」と思うようになりました。

 イラクの赤ちゃんたちは無事に大きくなったかしら?リビアの収容所で「不法移民」としてとらえられていた若者たちは無事ヨーロッパに渡れたのかしら?それとも本国に送還されてその後どうしているかしら?

 救急車の適正利用について議論が起こるということは、それくらいに日本人は平和に感謝できるということなのかもしれません。

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